ガンコ山ツリーハウストップ    縄文道を作る@  縄文ハウスを作る

                                         里道の下見にいってきました

                             ども、里道探検隊のナガムラ隊員です。
                             昨年から縄文ハウス(竪穴住居)を建設しているのですが、(縄文ハウスは今で報告)
                             ツリーハウスから見ると
                             ちょうど縄文ハウスの向こう側に見える山があって「縄文山」と命名。で、どうも麓
                             の集落から里道が通っているらしいというので、8月に下見をしました。結構踏み固
                             められた里道を確認。竹に道をふさがれるところもありましたが、一時間少々下って
                             「酪農の里」に到着しました。(ちべたい牛乳美味かった!)ただし展望のきくとこ
                             ろがなかったので縄文山は未確認です。ツリーハウスも見てみたいし反対側に太平洋
                             が見えるのかも知りたいところ。次回はツリークライミングの装備も準備して展望ツ
                             リーを作りたいですね。また、下には沢が流れているようなので、なんとか沢に降り
                             るルートも見つけたいと考えています。
                             ちなみに、里につながっている小道を「里道(さとみち)」と言ってます。辞書をひ
                             くと「里道(りどう):国道や県道以外の道」とあります。どうも明治政府が国有地
                             を確定するために定義した言葉のようですが、まっ我々としては里道(さとみち)と
                             いいたい。「里山」「里道」「里」は三点セットです。
                             ところで、このあたりの林道の整備にはつくづく関心します。あれだけ舗装されると
                             山歩きはちと物足りない。逆に里道とか山道は荒れています。山の中も車で移動でき
                             るし、里でも山に依存するような生活習慣が薄れているのでしょう。しかし、土の上
                             を歩きたい。僕が里道を歩いてみようと思ったのは、それが一番の動機です。

                                        縄文の道・考

                             なんで縄文なの?という声も聞こえてきそうですが、確かなのは僕の個人的な趣味と
                             いうことです。
                            一応なにかコジツケますと、ツリーハウスのある丸山町には日本で初めて縄文時代の
                            丸木舟が出土した加茂遺跡があります。遺跡は5000年前ぐらいのもので、土器、石
                            斧、弓、それからイルカやシャチの骨も出土しています。太平洋に丸木舟で漕ぎ出し
                            てシャチ漁なんかしていたみたいです(かなりワイルド)。加茂遺跡の縄文人は漁労
                            の民だったのかもしれません。しかし、舟の丸太、弓のイヌガヤ、矢尻の黒曜石、釣
                            り針の鹿角、糸のカラムシどれも山の資源です。また、当時の主食は木の実など山の
                            幸ですから、山も彼らの生活圏だったでしょう。ツリーハウス周辺の里道もきっと縄
                            文の道と重なっているはずです。
                           それから修験道は縄文の山岳信仰にルーツがあるともいいます。愛宕山はここいらで
                           は最高峰ですから、信仰の対象になっていたかもしれません。あるいは愛宕山の頂上
                           から当時盛んに噴煙を上げていた富士を拝んでいたかもしれない。とすればあの稜線
                           ルートは参道だった…。
                           まっコジツケればきりはないのですが、名もない里道をたどり古の人々が森から感じ
                          ていたことに思いをはせる。「縄文ロマン」もいいんじゃないでしょうか。