
縄文日和 竣工編 前回のあらすじ縄文ハウス奮闘中 トップへ
縄文日和というのにぴったりの青空の下、
僕と小さな縄文ハウスは暖かな陽射しの中に立っていました。
その日、ガンコ山ツリーハウスの果樹園の隣に作っていた竪穴住居が完成したのです
着工から完成までまる一年かかってますから新築なのにすでに付近の風景にとけ込んでいます。
この直径3メートルのミニ竪穴住居を自称ガンコ山のH氏が
「縄文ハウス」と命名してくれました。僕も軽い語感がピッタリなので気に入っています。
なにせ作った本人が軽いノリだったもんですから。
しかし、車で通りかかった人はギョッとしていますね。
というのもシャレにならないぐらい山里の風景の一部になっている。
車で走っていると突然、縄文時代へ「バック・トウ・ザ・フューチャー」してしまうのですから、
誰でも驚くでしょう。材料も現地調達にこだわっていて、リアルというか迫力があるのです。
それではこれから、突然というかトウトツにツリーハウスに出現した縄文ハウス建設の経緯
をお話します。
僕が縄文に興味を持ったきっかけは、国立博物館で2001年の春に縄文土器の特別展を
見に行ったことです。
地域や時期の代表作を網羅した展示で、まずそのダイナミックな造形力に圧倒されました。
よく見ると装飾の突起が微妙なヒネリ具合でくっついていたりして、その巧みさにも感心する。
さらにガラスに額を押しつけて見ると一面に爪で紋様をつけていたりするんですね。
その爪痕が非常に生々しくて、作った縄文人の思考のリズムのようなものまで伝わって
くるような気がしたのです。勿論紋様の意味は分かりません。
分からないぶん、紋様に込めたエネルギーみたいなものが迫ってくる。
まるで土器でできた蓄音機のように、数千年前の縄文人のささやきが聞こえてくる。
それが強く印象に残っていたのです。
で、少し縄文の文献を調べると、そこであつかっている素材はみんな山というか森林にある。
森林文化の源泉だということが分かった。
ただし、数千年から一万年も昔のこと、全てを理解することなど不可能なことです。
そういう不確定の部分がロマンといえなくもありませんが。
そういえば、縄文は平和で自然と共生してみたいに理想化してしまう意見には違和感を感じますね。
焼き畑による森林破壊とかあったかもしれません。
しかし、狩猟採取にしろ半農耕にしろ森林を基盤として暮らしが成り立っていたことはほぼ確実でしょう。
その縄文の技や生活技術みたいなものは現代のアウトドアでも応用できるだろうと考えました。
また、それが森林生活のヒントになるかもしれない。
でまあ、竪穴住居を作ろうと思い立ったのです。100%山の素材で。
そのほうがコストもかからないし、廃棄するときにゴミにもならない。
それで、やってみると面白い、やみつきになる。
アウトドアや山登りの教科書に出てこないノウハウがいっぱいある。
例えば、古民家なんかで屋根の竹を結束するのに木の枝を巻き付けて締め上げてあったりする。
「ソネ」というのですが僕的には直感的に縄文の匂いがしたわけです。
その枝はマンサクがいいと書いてあるので、付近の山を探し回る。けどこのあたりには無い。
それで、河原の柳で代用してみる。そうやって試行錯誤を重ねると、縄文のことだけじゃなく
僕が日頃フィールドとしている山や森林を別の角度から見ることができる。
縄文ハウスについて分かったこと。それは森の材料を使いこなす知識、技術がかなり必要だと
いうことです。またカヤやツルを取る季節も限られていますから、かなり計画的に作業する必要がある。
数人のグループで分担して作業しないと家族で住めるような縄文ハウスは作れないでしょう。
それに、もたもたしているとカヤが使い物にならなくなる。今回も4分の1ぐらいのカヤが堆肥に
なってしまいました。技術はローテクでも、総合的にはかなり高度な知識が要求されるわけですね。
それと体力も。
完成してからも即やらなければならないことがあります。それは焚き火をすることです。
じゃないと木もカヤもツルもみ〜んな虫の餌になってしまう。
我が縄文ハウスも秋にほたらかしておいたら太いツルが虫にかじられてボロボロになっていました。
まぁ、虫たちにも居心地がいいのでしょうが、虫のパワーはあなどれません。
それで火おこしが必須科目になるのです。
半年ほど試行錯誤しましたが2回ほど血豆をつぶして錐もみ式をやめ、弓ぎり式でなんとか成功しました。
火がついた時は嬉しかった!。明るいし暖かいし、焚き火がこれほど神々しく感じたことはありません。
オリンピックの聖火もそうですが、火おこしで付けた火は特別なものだと断言します
また、錐もみ式をあきらめたわけではありません、これからも練習するつもりです。
これも体力と十分な手の皮の厚みが必要ですね。
反省点もあります。今回、材料を完全に自給自足することはできませんでした。
やはりカヤが足りず押さえの木が露出するのでシュロ縄を購入して縛りました。
ツルは屋外だと耐久性がないし、ヤマフジで作った紐はもったいなくて使いたくない。
多分縄文の人々も紐やロープは貴重品だったと思います。
しかし、ヤマフジはいたるところにありますから材料には困らない。
いつか藤布みたいなのも作ってみたいですね。
まあ、「ああすればよかった」とか「こんなことも試したかった」ということがいっぱいあります。
そんなふうにいろんなことに波及していくのが縄文ハウスの面白いところですね。
ちなみに現在取り組んでいるのは土器づくり。土笛とかランプを作る予定です。
昔々、小さくて粗末な小屋を伏屋といったそうです。
我が縄文ハウスもお茶碗を伏せたような形をしていて、まさに伏屋です。
たぶんヤマトの人々が竪穴住居をそう言ったのではないでしょうか。
そして中世ぐらいまではそういう記憶が濃厚にあった。
と同時に縄文的なモノ・コトがまだまだ身近にあったように思うのです。
それが近世から近代の間に急速に消えていった。
しかし、1万年以上もこの列島の自然風土を糧として続いた縄文文化というのは原型は
止めていなくても形を変えながら確かに残っているような気もします。
というのも、ちょっとしたきっかけがあれば僕たちの目の前に縄文の世界はサッと広がるものだからです。
それが今回の縄文ハウス建設の過程で僕が一番強く感じたことです。
ローテク研究所 ナガムラ
縄文の火が灯る!!縄文ハウスの中にて
